仕事・生き方

【会社員とフリーランスそれぞれから学ぶ、当たり前をぶち壊す力】雇用形態に縛られる側になるのか、利用する側になるのか

多様な働き方が叶えられるようになってきた現代

だからこそ、働き方に悩むことも増えました。

  • 会社員とフリーランス、どちらの働き方が自分に合っているんだろうか
  • 正社員・契約社員・アルバイト/パートなど、雇用形態が気になる
  • 福利厚生を重視したいけど、「会社に縛られている」感覚でこのまま働き続けることが幸せなんだろうか
現在はリモートワーク中心にしているワタシ。

リモートワーカーだけど、過去にはガッツリ会社員をしたり今でも大きな企業にお邪魔してます。

日常的にオフィス社員のみなさまとお仕事をご一緒することがあるので、会社員とリモートワークを比較する機会が多いからこそ見えるものがあります

そこで今回は、大きな企業での仕事も個人単位での仕事も経験した今だから気付く、こんなテーマでお送りします。

この記事でわかること:仕事場の当たり前を疑ってみて見える世界

  • 大所帯のオフィスで、大勢と同じタイムスケジュールで生きている意味
  • 雇用形態に縛られる側になるのか、利用する側になるのか

 

今、あなたにとって当たり前になっていることはありませんか?

◆お話の大前提として◆

愛情を持って企業した社長さま、そして社に愛情を持って働く社員の皆さまを・・・「毎日一生懸命に働くサラリーマンの皆さま」を、心から尊敬しています。

それは、企業へと足を運んだとき、プロジェクトを通じて素敵な社員の方々とお会いして社員皆さまの熱量を肌で感じ取っているからです。

わたしの雇用形態は「社員」ではありませんし、企業に完全には属さない道をあえて選んではいます。

でも、だからこそ、その道を選んでいる人への敬意は決して忘れることはありません。

その前提のもとで、『社員として企業に属すのが難しい人・今の会社では環境が劣悪な人』などに向けて、もっとラフに常識から解放されても大丈夫ですよ!と言いたいだけなんです。

 

 

仕事をしていれば、自分にとって《上司・同期・部下や後輩》と、いろんなポジションの人とのコミュニケーションがついてまわります。

ポジションの違いをお互いに認め、そして違和感も時に抱きながら、日々いろんな葛藤のなかで働いていると思います。

 

わたしもガッツリ会社員のときは、規模がなかなか大きな会社ともあり、所属チームはもちろん外部でも関わる人がとても多い状況でした。

多くの人が働く環境のなかで、認め合って励まし合って、競争や顔色を伺いながら気を遣うこともありました。

 

違う人間同士だから、理解が深まらないことも多々あるし、逆に理解し合えた時の喜びもある。

毎日「お互いが違う人間であること」と隣り合わせの中で折り合いをつけながら働くのは、多くの仕事環境で見られる様子ですよね。

 

でも、違う人間なのに、だいたいの人たちが同じタイムスケジュールで会社に来て、仕事をして、そして帰って行く。

朝決まった時間にドワっと出勤し、ほぼ同時刻に席から立ち上がってランチをとる。

感情やポジションも人それぞれなのに、おおよそそっくりなタイムスケジュールで大半の時間を共にしていることに、ある日違和感を覚えました。

 

 

 

社会人になりたての頃は、なんの疑いもなくこういった時間の使い方をして仕事してきました。

いつしかだんだんと、疑問を持ち始めたのです、

これだけ多くの人間がいるのに、毎日みんなで同じことしてる、これってなんだろう」と。

 

良いとか悪いとかではなくて、単純にまず当たり前になってることが「なぜ当たり前なんだっけ?」と考えるようになりました。

 

考えた結果、ロボットみたいでつまらないから、人生そろそろ冒険しよう!とわたしは思い至ります。

性分としても、毎日毎日同じ場所で同じ時間に、機械的に働くのは楽しくなかった。

やりがいがないとか仕事がやだとかではなくて、当たり前を当たり前として生きてきた自分にハッとしたんです。

バクチ的かもしれないけど、知らない世界に飛び出してみないと何も見えないんじゃないかと。

だから、わたしは転職も数回しましたし、フリーランスを選んでいます。

会社から逃げたいわけではなく仕事が嫌いなわけでもなく、1つの場所でただ1つの仕事に向かうだけで1日が終わることになんだか物足りなさを感じてしまった、ただそれだけなんです。

 

当たり前の根源を、学生時代まで振り返ってみる

まず当たり前を疑ったとき、真っ先に自分の人生を振り返りました。

例えば小学校。

近所のみんなと同じ学校に通うことに何にも疑問がなかったのは、もちろん自分に義務教育や学区制度の知識が無かったことも大きいですが、

自分の親も含めて周囲の人間もまた、疑問符を持たずに”世の中の当たり前”を受け入れていたからだと感じました。

 

中学や高校、大学ともなれば受験が待っています。

わたしは受験をして進学校に進みました。家族やおばあちゃんが勧めてくれた進学校を受験して、お父さんの期待を背負って早稲田大学に進みました。

これも全部、当たり前を疑わなかった自分の選択した人生なんだと、大人になった今振り返って思いました。

 

全部自分が決めたことで今となって後悔はしないですが、昔の自分を反面教師として誰かに伝えられることがあるのなら、「当たり前を疑ってかかれ」ということ。

大学受験のとき。進学校で有名だった同じ高校の同級生は、専門学校に行くと決めました。

進路指導の先生が集まって、その子を止めに入ったのを今でも覚えています。

多くの生徒が、先生の言うこともごもっともだなあと思っていたような気がします。

その高校では、入学する前から「卒業生はほとんど6大学に行く」と言い聞かされていて、受験のころには自分も「良い大学」に行くものだとすっかり頭の中に植え付けられていました。

 

実際に卒業生たちは好成績を残して「良い大学」に進んでいたので、専門学校を進路に選ぶことは先生からすれば「もったいない、何を言ってるの?」ということになります。

同じように、わたしを含めた生徒の多くは、無意識に「専門学校は選んじゃダメで、6大学に入る」ことを良しとしました。

わたしも周りの生徒のほとんども6大学へと進学しました。

 

専門学校を選んだ子は、周りの反対を押し切って専門学校へと進みました。

結果的に、専門学校を卒業したその子は立派にその専門の道で就職し、今では専業主婦であり素敵なお母さんです。

一方のわたしやそのほかの6大学に進んだ子は、楽しく大学生活を送り、選択した学問を勉強し、そして遊び、卒業したら企業に就職しました。

企業といっても人それぞれですが、大きな企業に入った子もいれば大学時代に選択した分野の専門的な企業に入る子もいました。わたしも含めて、みんな各々の世界で頑張ってます。

 

ずっと持ってた当たり前も、変わるもの・変えるもの

高校の頃、先生は専門学校には行くな!と言い切って、それをなんとなく信じ、専門学校は選ばないと無意識に決めていた自分がオトナになって気付いたこと。

それは、人が作り上げた「当たり前」にただ従って疑わない、その恐さです。

 

大人になってより一層気づいたのは、人それぞれ、自分にとってふさわしい答えを出せば良いものなんだ、と。

しかもその答えは、生きていればどんどん変わるはずで、年月を重ね体験を積んでいけば、自分にとって心地の良い環境も大切なものも変わるし、変わっても良いんです。

 

みんな、それぞれ進んだ道の先で自分なりの視点を持って生きて、自分なりに悩み、自分なりの生きがいをしっかりと感じる・・・

 

今自分がフリーランスをしていて思うのは、高校時代に「自分はコレを専門的に学びたい」と決断できるということがものすごいレベルの高いことなんじゃないかってこと。

専門学校に対するイメージ・・・例えば大学受験と比べて入りやすいとか、入った後の内容がどうだとかは、今ここでは関係無しです。

当たり前を気にせずに「意図して選択する経験」というのは、自信につながっていくきっかけにもなるでしょう。

 

専門学校に限らず、海外留学をする・海外の学校を選ぶとか、進学しないだとか…そうやって「自分で決めることに挑戦する姿勢」ってかっこいい。

もちろん6大学を選んでも、自分が熱心に選択した進路ならもちろん素晴らしいことです。

 

社会に出て気付くことは、進路・環境下が見える景色を決めるんじゃなくて、「進んだ先で自分が何をするかによって見えるものも変わる」ということ。

学生生活まで振り返った話ではありますが、社会人になってからもなお、こうした「当たり前を疑う」ことで見えるものがあるものです。

 

多様性が認められる環境に身を置く意味

生き方が違うということは、仕事に対するモチベーションだって人によって違います。

わたしはどちらかといえば、昔からずっと、仕事にしろプライベートにしろなんだかんだで熱心になってしまう性分です。

仕事は情熱を持っていたい、だから仕事を適当にやることができません。これは一生そうだと思います。

 

だからといって、四六時中気を張っているのは疲れちゃう。

みんなと同じタイムスケジュールで仕事をするのは、居心地が悪い。

なんでかというと、モチベーションが全く違う人もいるなかで無理やり同じ時間を刻むほど、生産性のない時間はないからです。

 

また、同じように仕事をする恐さよりも、「同じ時間に同じように休まなきゃいけないこと」に恐さを覚えました。

全く同時刻に席を立ち上がって休憩を取ったり、決められた時間でお手洗いに行ったり食後の歯磨きをしたり・・・、それが当たり前だから普通にしていたんですが、だんだんと「なんかこれって変なの!」と思うようになったんですよね。

 

こうした自分の経験だけではなく、周りの人もまた、色々な経験をしていることに心底気がついたからです。

病気と戦っている人、子育てに奮闘している人、どうしても朝が弱い人、プライベートを大切にしている人、夢を追いながら仕事をしている人。

この中には、一斉に同じタイムスケジュールで過ごすことが苦手な人もいます。

苦手ではなくても、あえて選ばないことに決める人だっています。

わたしがそうです。

 

雇われているだけなのか、自分の意思で仕事をするのか

今フリーランスで活動していますが、現在でも企業にお邪魔する日があると冒頭でもお話しました。

お邪魔している企業は、多様性を受け入れ、所属しているほとんどの人が働きやすいと感じる会社であることが魅力的だなーと感じています。

みんな、すごく自主性があるんですよ!

それぞれ与えられた仕事があって、滞りなく進行している&報告や共有が行われているのであれば、何も全く同じようにして過ごす必要がない

 

正社員もいれば、契約社員・アルバイトもいます。でも、雇用形態が違うだけで、みんな仕事に対する意識も高く、素晴らしいスキルを持っている人が本当に多い。

いわゆる大手と言われる会社からの転職者も多く、またフリーランスで力を発揮している人の出入りも多い。

1つの会社の中だけではなくて、他のプロジェクトにも携わったり、プライベートを充実させていたり、とってもアクティブです。

人間の多様性を認める企業だからこそ、わたしも刺激を受けに行きたくて、”自分が行きたい時間に” この企業にお邪魔し、一緒に仕事をしています。

あえて極端な言い方をすれば、「人間の多様性を認めてくれる企業だからこそ、わたしは都合よくお仕事をしに行っている」

 

雇用形態は、自分で選ぶものです。

正社員だから偉いとか、正社員じゃなければすごくないとか、そんなのはもう昔の話。

わたしがフリーランスなのは、自己裁量で仕事をしたいから、ただそれだけです。

 

未だに言われる、『正社員の方が、福利厚生もしっかりしてるし、安心だよ』って言葉。

実際に恩恵を受けている実感がある方もいらっしゃるでしょうし、その安心感を買うために正社員を選ぶ人のこともわたしは一切否定しません。

正社員だからこその想いがあることももちろん心得ています。

 

ただ、もしも今これを読んでいるあなたが何かしらの雇用形態に関する劣等感に悩んでいたり、社員として働くしんどさを覚えているのであれば、無理してしがみつくことないよって伝えたいです。

当たり前を選んだとしても、その当たり前をうまく使いこなせないのなら、あまり意味がないから。

 

当たり前に縛られたらだめ、上手に利用してはじめて意味がある

もしも、福利厚生が良いって選んだ会社でも、働くリズムが合わなくて気苦労が多かったり価値ある時間を過ごせている実感がないのなら、それってどうでしょう。

「福利厚生が良いから、ボーナスがいいから会社をやめられない」って、それはあなたを縛るだけにもなりかねない。

これって幸せなんでしょうか。

 

あなたが違和感を覚えたなら、当たり前を疑ってみるべきです。

結構いませんか?

条件がいいから辛いけどやめられないっていう人。辛いことって、条件がいいんですか?

わたしはとても不思議に思います。

人間、生きていれば当然お金もかかりますし、家族の事情やいろんな条件によって、自分の働きやすさだけでは仕事や生き方を選択できないことだって有り得ます。

ただ、その当たり前さえも破っていかなければ、きっといつまで経っても「やめられない、だってやめたらダメだから」という世界に居るままです。

 

選択できる人はいいじゃないかという声があることも承知しています。

ですが、自由がないと辛く感じている人・当たり前とされる環境の中で違和感を覚えているのに抜け出せないと思い込んでいる人ほど、当たり前を疑って欲しいです。

そして、当たり前の環境を上手に利用してやるぐらいの気持ちでいることをオススメします。

 

過労死の話題が時折ニュースに出ますが、当たり前が生み出す固定概念は、人の心を簡単にコントールしてしまいます。

もっと外にも世界は広がっているのに、当たり前の環境に対してでしか生きられなくなってしまうのはとても切ないです。

 

「やりがいがあって仕事をしている」、それももちろん結構です。でも、体を壊してまでやるべき仕事が果たしてやりがいに繋がっているのか。

やりがいがいつしか思い込みに変わっているとき、どんどん視野が狭くなっていきます。

 

会社や仕事に没頭する時間があってもいい、でも心を食われないように、上手に利用しちゃおう!ぐらいのスタンスでいいんです。

あなたにとって安心材料であったはずの会社のネームバリューや福利厚生なんて、ただの保険で、実際にその恩恵を受けられないなら意味がない。

 

例え話になっちゃいますが、「医療保険」っていざって時の安心のために毎月積立金を支払っていくものですよね。

わたし、医療保険に入っていて、今まで数年支払ってきているんですよ。

で、この間保険のおばさんに言われました。「あなた、2年前にケガした時の内容だと、あの時50万円降りたわよ!」って。

え!?そうなの!?って感じですよ。

保険は入っておいた方が良い・いざって時に助かる、そうやって毎月払っていたのに、ちゃんと利用していないなら全然意味ないですよね・・・。

当たり前を選んでも使いこなせないと意味がないって、心底思いました(ちなみに、まだ保険が適用される期間内のようなので医療機関に診断書貰えば良いみたいですけどね・・・。)

しかもこの毎月の支払いにヒーヒー言っているだとか、当たり前の安心を買うためにヒーヒー言っているだとか、それこそ虚しいなって思います最近。

 

世の中の当たり前はこれまでまかり通ってきたから当たり前になっているものだと思います。

だけど、上手に利用して、生きやすさや過ごしやすさのためにずる賢くなっていいと思うんです。

 

仕事をしていてもしも周りとのリズムに違和感や疲労感を覚えたら、休憩時間くらいは一人になってみるのもアリですよ。

あの人付き合い悪いなぁなんて、気にしない方がいい。

自分の時間を作って、ゆっくりコーヒーを飲んでみる。

休日にやりたいことを思い浮かべたり、いろんな本音に耳を傾ける時間があなたをリラックスさせてくれます。

 

 

仕事に限らず、今あなたの生活環境の中にある当たり前を疑ってみる。

すると、必要なもの・不必要なものが見えやすくなってきます。

当たり前が、尊ぶべき当たり前なのか、実はあなたを縛り続けている当たり前なのか・・・ゆっくり考えてみるときっと素敵な発見がありますよ。

ABOUT ME
ikiiki
都内を主な活動拠点とし、 週半分はオフィスワーカー/もう半分はwebライター&フードディレクターとして活動中。 【主な経歴】 ◆民放キー局にて、グラフィックデザインアシスタント ◆テレビ・映画・音楽現場でのケータリング事業 ◆ケータリングと平行して、都内飲食店でメニュー監修
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