【断捨離】30代のうちに手放してよかったもの1位:大量の服を手放したら人生好転した
2017,8年にも一度取り組んだけれど、再び自分の停滞した日々を大きく変えたい時期がやってきました。
2025年の年明けから約1年間、断捨離に向き合ってきたワタシ。
物を手放すことで、思考がクリアになったり日々の過ごしやすさを実感できるのが「断捨離」の醍醐味。捨てることはただの片付けではなく、「自分の人生にとって必要なものや不要なものを見極める儀式」でもあります。
自分はこれから何を大事にしたいと思っているのか、何に執着して生きてきたのか…
「捨てる・手放す」を繰り返していくと過去の自分を悔いたり恥ずかしくなったりすることもあるけれど、理想像とのギャップや違和感に気づけることにこそ断捨離の意味があるのです。
今回は【30代のうちに手放してよかったもの1位】である『大量の服の手放し』について。
物理的にも精神的にも身軽になったエピソードを、手放すおすすめポイントを交えてご紹介します。
捨てる・手放すというと、まるで自分が大事にしてきた価値観やこれまでの膨大な時間や資産を無駄にしてしまうんじゃないかと恐れてしまうかもかもしれませんが、自分の人生をアップデートする感覚で取り組んでみてください。
物の断捨離を通して過去の自分自身と向き合うとき、今までは間違っていたなんて否定をする必要はありません。
これまでの失敗や後悔も含めて自分のことを丸ごと認めてあげましょう。ただ単に、過去の自分が選択した積み重ねによって今の環境や価値観が出来上がっているという事実なだけで、「そっか今までの自分はこれが好きだったんだね」って認めるだけでいいんです。
そんなふうにこれまでの自分を認めることさえできれば、今の積み重ねでつくられる未来をもっとリラックスして味わえる。
理想の自分像や理想のライフスタイルに少しでも近づきたいと思っている人に、ぜひ読んでほしいです。
【大量の服】自分のアイデンティティーを守るため、「まだ着れる」ではジャッジしない
20代から着ている服、ツアーTシャツのようなグッズ系、10代から持ち続けてきた制服などの思い出系まで、ワタシはおよそ9割を減らすことに成功しました。
断捨離を始めるときにまず何から始めていいか迷う人にも、まずは服の整理をおすすめしたい。
服は毎日必ず身に着けるアイテムだし、アイデンティティーを表す役割もあるので、断捨離の根本的な意味でもある「自分を知り価値基準を見極める」ことに向いています。
ワタシが要る・要らないのジャッジにおいて基準にしていたポイントはこんな感じ。
- 「理想の自分」がこの服を着ていると想像できるか
- クローゼットに掛かっているのを見てときめくか
- 購入時の値段や他人の価値観で良い服だと思っていないか
- あのときに着ていたな〜などの思い出だけで残していないか
詳しく噛み砕いていきましょう。
「理想の自分」がこの服を着ていると想像できるか
断捨離するぞ!と意気込んでいるあなたは、きっと今の自分を変えたくて取り組んでいるはずです。となると、今とは違った理想的な生活や理想的な自分像があるはず。
ちなみに、どんな理想でも良いのです。
「朝ゆっくり過ごしてから仕事に出るスマートな生活を送りたいな」とか、「シゴデキなビジネスマンになりたい」とか、「食料品は伊勢丹で買っちゃったり」とか…なんだってOK
その理想の姿やライフスタイルをまずは想像して、イメージとかけ離れた服は迷わず手放します。

ワタシの場合、「朝の身支度に時間をかけたくない・選択のストレスから解放されてシンプルな生活がしたい・複雑なコーディネートでオシャレさんを演じなくていいからアクセサリーで遊んで服はシンプルにする」というのが理想でした。
朝ゆっくりコーヒーを飲んだり書き物をしたいし、身支度に時間を費やしたくなかった。だから、時間を食うような”コーディネートに迷う服”や”取り扱いや洗濯が容易ではない服”を優先的に手放して、朝なるべくスマートに1日が始められる服に厳選していきました。
それと生活拠点を変えたくて引っ越しをすることが目標でもあったので、物理的に服の量を減らしたかったのです。
1回の断捨離で9割減らしたのではなく、4,5回の整理を経てようやく減った感じ。
服の整理と同時並行で書類や趣味のグッズなどを整理していたこともあり、一気に服の断捨離ができたとは言えないのですが、段階的に自分の価値基準を洗練させていくプロセスも断捨離あるあるだと思います。
最初はやっぱり、「まだ着れるしな」とか「これ高かったんだけどな…」と躊躇して保留にした服もありました。でも、整理のたびに「理想の自分がこの服を着ていると想像できるか」と自分に問いかけて、根気よく減らしたのです。
ローランドさんを想像してください、多分よれよれのTシャツって着てないでしょう?
叶姉妹を想像してください、多分キャラクターの付いた靴下なんて履かないでしょう?(なんだか靴下すら履いてなさそう。)
これは極端な例だけど、【理想のイメージとかけ離れた服は全部手放す】を実践していくと、不思議なもので「自分の力で理想に近づいてる!」と勇気が湧いてくる。
服の量が大幅に減ったり、量がすぐ減らずともノイズになっている服がなくなることで、視覚的な変化があるから効果を感じやすい。
「手放すことでしか大きな変化を得られない」とさえ実感できちゃえば、だんだん面白くなって断捨離は加速していきます。
この実感が、のちに他のジャンルの断捨離に踏み出せる原動力にもなるんです。一度この感覚を得たらまるで水を得た魚のように、ジャッジすることがもはや楽しくなっていく。

肉体的には自分のままでありながら、自分の思考がアップデートされていく心地よさは格別なもの。
断捨離をする際、今までの自分から思考も生活も変えたくないと思っているのならここまで意気込む必要はありませんが、この記事を読んでいるあなたは”変わりたい”と思っているはず。
安全圏(コンフォートゾーン)を抜け出してライフスタイルを変えたいと思っているあなたなら、断捨離によって、【理想の自分とかけ離れた膨大な物を手放さずに持ち続けるのはかえって居心地が悪い】と思うようになるでしょう。
俗にいう「RAS」という脳の仕組みにも関係するお話なのですが、ここでは簡単に、説明します。
今までコンフォートゾーンだと思っていた環境やライフスタイルが一変して危険区域に感じる、つまり、今の自分にとってのコンフォートゾーンが別に存在すると自覚するのです。
理想や目標にフォーカスすると、今までとは違った情報に意識が向いたり、新しい価値観の方が心地よく感じるようになる。
このゾーンに入れば、断捨離はグングン進んでいきます。
クローゼットに掛かっているのを見てときめくか

これはシンプルな基準ですね。
その服はあなたをワクワクさせてくれるのか。見ていてときめくのか。
「使える服」と「着たい服」はまったくの別物。
クローゼットや引き出しを開けたその瞬間、目に飛び込んできた時の素直な気持ちを無視しないことが重要です。
- ちょっと毛玉があって着てる時に人目が気になるんだよな
- 形は好きなんだけど着心地がイマイチ
- お気に入りだけど洗濯機で洗えないんだよな
こんなふうに、実は「使えるけどときめかない服」ってありませんか?
視界に入るたびにちょっとストレスがかかるような服は潔く手放しちゃいましょう。
服に限らず、物は容赦なくあなたに話しかけています。
机の上にある置きっぱなしのペットボトルも、畳んでいない服も、シュレッダーにかけてないDMも、声では聞こえてこないけど「おーいこれどうするの〜」と訴えかけてくる。
そのノイズが私たちの日々の生活にじわりじわりとストレスを与えてくるからまぁ厄介。
物が多い部屋というのはそれだけでストレス因子になるので、視界に飛び込んでくる情報からいかに不要なものを取り除くかに比例して心が軽くなる訳です。

服を選ぶのって、たいていは朝が多いですよね。
ってことは、「使えるけどときめかない服」がいきなり視界に飛び込んでくるようなクローゼットをそのままにしているだけで、無意識にストレスがかかっている状態で1日がスタートしちゃうってこと。
朝を制すものは1日を制す。
「朝を気持ちよく始められるとその日の満足感や幸福感が高い」ということは、研究でも明らかです。
人生は1日1日の積み重ねって考えると、朝いかにストレスから解放された状態でいられるかで人生の満足感や幸福感が高くなるとも言えるのではないでしょうか。
ワタシにとっての理想のライフスタイルはまさにこれで、 1日の中で朝が1番重要で、朝をどう過ごすかにとてもこだわっています。ちなみにこの記事も、朝の6時に起きて思考が研ぎ澄まされている時間帯に書いています。
朝の時間を大事にしたいから、ワタシは服を大量に手放しました。
服を整理して自分の理想像とギャップがあるアイテムを手放すと、視覚的に理想へ近づけるだけではなく、選択のストレスから解放されることで「時間の余白・思考の余白」が得られることが大収穫。
服の整理が人生を変えるだなんて一見無関係に思えるかもしれないけど、「時間の余白・思考の余白」ができることで、その余白を自分が本当にしたいことに使うことができることが魅力です。
だから、断捨離を通じて停滞した変わり映えのない生活を大きく変えるきっかけになり、今よりも居心地のいい暮らしを実現することで「人生が好転した!」と感動できる人が多いのです。
購入時の値段や他人の価値観で「良い服」だと思っていないか

こちらのジャッジ、人によってはショッキングな体験をする場合が多いですが、強い気持ちで立ち向かっていきましょう…!
「このコート3万円したんだよな」とか、過去の自分が気合を入れて買ったものってありますよね。他にも、「このブランドは人気だし着てるとステータスになるからな」など誰かの目を気にして買ったものたち。
これらの服、いまだに「これ良い服なんだよ」と思ったままになってませんか。
いきなり直球で言いますと、あくまで「過去の自分」が良いと思っただけなので、今も良い服だとは断言できません。
むしろ、過去に良いと思って買ったという執着が邪魔をして、自分を変えるきっかけをずっと先延ばしにしてしまう恐ろしい存在になっているかもしれないのです(怖すぎ)。
ワタシはこんな服を手放しました。
- 購入当時ウン万円したけど今の趣味ではない服
- ハイブランドだけど1年以上着ていない服
- 人目を気にしたコーディネートのために買った服
初めは勇気が必要だったけど、この後に説明する「買い物の本質」を改めて肝に銘じたら一気にスイッチが入りました。
値段が高ければ高いほど、手放すことを躊躇ってしまう気持ちもわかります。そんなときは、支払った値段についてちょっと考えてみましょう。
「サンクコスト」という言葉を聞いたことがありますか?
これは「埋没費用」と呼ぶもので、既に支払っていて回収することができないコストのこと。
その服を買った時点で支払ったお金というのは、もう将来的に回収をすることはできないですよというふうに捉える訳ですね。
そもそも買い物って、その物とお金を交換して得るので、服を手に入れた時点で対価に見合った報酬を得ているとも言えます。
「過去の自分」が良いなと思ってその服を買った時点で、数万円だろうが幾らであろうが、もう支払った分の体験を得たんだと思うようにしませんか?(急な提案)
そして、物の値段によって良し悪しを決めることからも、せっかくなので卒業しましょう。
これからは、自分が良し悪しを決めるのだ!と。

他人軸でのジャッジを手放すと、物の値段や人目を気にすることから解放されて生きやすくなっていく実感が湧いてくるのです。
それはなぜか、シンプルなことだけど【今の自分が良いと思ったモノや思考に基づいて生きられる】から。
服に限らず、物の値段なんて正直いくらを付けて市場に出回ってもいいはずで、それなのに高かったり安かったりするのって理由があるからですよね。
例えば、大量生産できないからとか有名デザイナーが手掛けたから高いとか、手作りで手間もかかっているけど個人の趣味で販売しているから手頃な価格だったりとか。
誰かがこの値段で売りたいという理由で付けられているだけなのです。
だからこそ、そのモノに何かしらの魅力を感じて買うのが理想的で、“その値段で納得できるから買う”というのが買い物の本質。
値段が高いから、ハイブランドだから、多くの人が良いと言っているから「良い物」と錯覚しそうになったら思い出してください。
その値段でまた同じ物が売っていたら買いたいと思えるのか?と。
手元にある服たちは、あくまでも「過去の自分」がジャッジしているので、「今の自分」そしてもっと言うと「理想的な姿に変化を遂げた自分」が同じ値段で買うかを冷静に判断するんです。
そのジャッジを経て今でも価値を感じるのであれば残していいし、少しでも違和感があれば手放しましょう。
繰り返しますが、値段=物の価値ではありません。
値段や流行のオシャレというのは誰かがつくった価値基準であり他人軸に他ならないので、自分で人生をコントロールする実感を得るためにも勇気を出して手放しましょう。
ある程度のブランドであれば売りに出せば臨時収入にも繋がるかもしれません。逆に、自分では高値がつくと思っていたのに数百円どころか値段もつかない可能性もあります。
だけど、過去に感じていた価値を見直して再定義することにこそ断捨離をする意味があるので、どんどん実践していきましょう。
ワタシの場合、「ええ〜!これ3万円なのに買い取り価格2,000円かい!」とショッキングな経験をしたことで執着心がなくなり、物理的にも心にもスペースが空いていく開放感を味わうことに悦びを感じたタイプ。
思い出だけで残していないか
大前提として、思い出のアイテムを残すか残さないかは最後に決めるくらいのテンションで大丈夫です。
思い出のアイテムは、服に限らず「代えがきかないもの」や「買い直しができないもの」でもあることが多いですから。
物を極限まで減らすミニマリストを目指している訳ではないのであれば、自分にとって大切なものをいきなり無理に手放すことはしなくてもいいとワタシは思います。
ただ、こんなアイテムに当てはまるのであれば手放すことをおすすめします。
- 買い直しができる服(思い出と物をリンクさせてしまってる)
- 手に取った時に苦い思い出も一緒に蘇る服
- 良い思い出が蘇るけどもう着ないと分かっている服
所持していること自体に執着していると、手放しは難しくなっていきます。
手作りや買い直せないアイテムは別だけど、既製品ならばなおさら「物自体に思い出がある訳ではない」と割り切るのも一つの手です。

ワタシが実際に手放したのは、「良い思い出が蘇るけどいつでも心の中で思い出せる出来事にまつわる服」でした。
今後の理想の自分のアイデンティティーを示すための服ではないのであればなおさら、「服として残す意義」にとらわれるよりも「思い出としてふさわしい形に昇華してあげる」ことで、むしろもっと思い出として大切にできると。
例えば、制服や小さいころに着ていた服とかライブグッズとかですね。
もう着ることはないと分かってても、思い出が詰まったアイテムって手放しにくい。なんだかんだ手放す覚悟がなくて所持したままになっている服がワタシにもありました。

だけど、【30代の断捨離】は大変化をするために本気で減らすって決めていたので、今までのジャッジよりも厳しく取り組むことに。
結論、服として形を残していなくても写真に撮って残す!と踏ん切りをつけました。
物は、視覚的に存在することで私たちに情報を与えて思考させるチカラがありますが、必ずしも元の形であることに意味がある訳じゃないって思えたのです。
服が服としての機能を果たしていないならばなおさら、思い出が形を変えてそこに存在しているだけになっているはず。
であれば、思い出として残しておきたいのなら写真として保存することで解決できるし、苦い思い出しか蘇らないのならもうデータにさえ残さずサヨナラする良い機会です。
いきなり取り組むには難しいかもしれないですが、ある程度断捨離が進んだ最後、思い出の服をどう整理するかに迷った時の参考にしてみてください。
【手放すか迷った時のおすすめ行動】:実際に着て外に出かけてみる
これ、意外とやってる人いないのでは?
服の整理を部屋のなかだけで進めようとしなくて良いんです。
悶々と考えて「もったいないな」「まだ着れるよな」と呟いてはそっとクローゼットにまた仕舞ってを繰り返してしまうのなら、実際に着て外に出かけてみてください。
街角のガラスに映る自分の姿を見てください、店頭でスタッフさんと会話してみてください。
するとこんなことに気づけるはず。
- うわ、ガラスに映ってる自分なんかダサいかも…
- シルエットが古いし今の体型に合ってないかも…
- 自分のロールモデルである憧れの人はこんなの着ないわ…
- 毛玉やよれが気になってお店のスタッフさんと話すの恥ずかしい…
- そもそも、こんなの着て外に出ていけない…!
部屋の中で要る要らないを進めていると、「まだ着れる」と邪念が沸いてしまいがち。
だからこそ強い気持ちで自分に問いかけましょう。

「使える服と着たい服は違うよね?」と。
ワタシは断捨離を進める中で、洋服の買取をしてくれるセカンドストリートやRAGTAGへ服を売りに行ったり、リサイクルに出したりしながら物量を減らしていきました。
その過程の中で、ここまでに紹介した手放しのポイントに意識を置いてもなかなか踏ん切りがつかない服もやっぱり登場します。
そんなときは、実際に手放すか迷っている服を着て外に出ました。面白いことに、迷った服は全て手放す結果になりましたね。
考えるな、感じろ!
とはよく言ったもので、頭の中でジャッジができない時は行動してみましょう。
「もったいないな」「まだ着れるな」で考えるとどうしても残しておいても構わない服たちが残留してしまうけど、それで数年持ったまま着てないんですよね?っていう。
自分でもそんなことはわかっているのに、決断を先延ばしにしてクローゼットにまた仕舞う、そんな日々とはおさらばです。
いざ外に出てみれば体中で感じます、違和感を。
そんな実体験をしっかり味わってみると、「迷ったら捨てろ・捨てて後悔はしない」と断捨離を経て人生を変えてきた先輩方の言葉がよりリアルに感じられることでしょう。
ワタシは自分で動いて感じないと気が済まない性分なこともあり、この「迷ったら着て外に出てみる」をやったことで断捨離が一気に加速しました。
今まで何度かチャレンジしたけど思うように減らせなかった人にはぜひ試してみてほしいです。
服を選ぶことは、どんな自分を生きるかを選ぶこと

変わりたいと思っているのに今まで大事に持ち続けていた物が捨てられない、それが人間ってやつです。
なかなか踏ん切りがつかなくても落ち込むことはありません。
だけど、「着られる・使える」で残そうとすると、きっと部屋にある大半の物がそのオーディションに受かってしまいます。
本当に人生やライフスタイルを変えたいのであれば、「これからどんな自分で生きていきたいのか」「何を不要と決めて、どんな姿で生きるのか」でジャッジするのがおすすめ。
着られるから着るではなく、着たいから着る。
使えるから残すではなく、今の自分や理想の自分が着てる姿にギャップがあるなら手放す。
服の整理を通じて価値観や判断軸に向き合うことで、過去・現在・未来を見つめなおし、自分の意志で人生を生きているんだ!と実感できるなんてラッキーだと思いませんか?
ワタシは今回「30代のうちに手放してよかったもの」として取り上げていますが、断捨離は何歳から始めても遅くないし、ライフステージによって理想像も変化していくと考えると、きっと人生の節目節目で何度か経験をする儀式じゃないかなと思います。
振り返れば、20代にも引っ越しのタイミングで物の整理に取り組んだ時期がありました。
その後コロナ禍で仕事や生活が激変したり、ストレスと共に発散するための趣味が増えたことで再び物量が増えてしまい、20代〜30代で所有物が様変わりしていることにも改めて気づきました。
今は手放すことで生きやすさや悦びを心底感じているので、引き続き持ち物の見直しをこまめにしながらシンプルに生活できるように努めたいところ。
今のモチベーションは、40代に突入したとき「人生ますます面白くなってるな〜!」って思える自分でいられるように全力を尽くすこと。
30代は器用貧乏であれもこれもやりたいことを全てやるような過ごし方をしたので、これからはそのなかでも伸ばしたいことを決めて不要なモノゴトを削ぎ落とす方向にシフトします。
クローゼットの状態と生き方って似ている。
服も選択肢が多いほど思考の迷いも生じやすいし、自分の良さを最大限に活かすコーディネートよりも他人によく思われるために着飾ったり、安物買いの銭失いをするあまり本当に着たい服に資金を投じられないことだってある。
本当にやりたいことにコミットするためには、不要な思考や物を手放して、経済的にも時間にも余白を生み出すことがとっても大事。
そんなことを肝に銘じながらクローゼットを理想の自分に近づけていくことができれば、断捨離がただの片付けではなく、新しい自分に出会うための儀式として有意義になると思います。
